シモカワノニッキ

あたまの中がカユいんだ。

生きている間に言いたいセリフの話。

人には誰しも「生きている間に言いたいセリフ」がある。

以下、太字部分。

 

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案外狭いんだな。

 

甲子園のグラウンドに立った印象だ。

ベンチの中から眺めているとよくわからなかったが、バッターボックス

近くから見渡す甲子園球場は、母校のグラウンドとそんなに大きさが変わらないように俺には思えた。

 

この2年間、俺は一度も公式戦に出場したことがない。

 

地元の中学では神童と呼ばれ、自信満々で本州にある強豪校に進学した。

「自分は間違いなくプロになる」そんな根拠のない思い込みは、入学して一週間でガラガラと音を立てて崩れた。“上には上がいる”月並みな言葉が重く重くのしかかった。

 

ジリジリと太陽が照りつける。

9回裏、2アウト。9-0で負けている。

 

なぜこんな場面で俺が代打に出されたかというと

恐らく、来月で学校を辞めることになったからだと思う。

 

地元で小さな工場を経営している親父の体調が思わしくなかった。

家族経営ならばこれを機に畳んでしまってもいいのだが、

親父の工場は3人の社員を抱えている。

「3人を路頭に迷わすのだけは絶対にいかん」親父は頑なだった。

それならば長男である俺が工場の手伝いをしなくては…という経緯の退学だった。

 

なに、野球で挫折したこともあって学校も居心地がよくなかった。未練はない。

 

つまりこの代打は「思い出代打」というやつだ。

練習にも熱が入らずダラダラやっていた俺に最後の打者を務めさせてくれるなんて監督も気前がいい。

ベンチを出る前「いいか柏木、お前が出ることで奇跡がはじまるんだぞ」なんて言っていたけど、その目は光を失っていた。そりゃそうだ。あとアウトひとつで試合は終了、ここから9点差をひっくり返すなんてソフトバンクでも不可能だ。

 

でも、まぁいいさ、高校球児特有の「絶対に最後まで諦めない」みたいな精神論は大嫌いだ。昔から物事を斜に構えて見るタイプだった。いや、昔じゃない…野球に挫折してからそうなった。

 

「目をつぶって豪快に振り回してやろうかな」

そんなことを考えながら素振りを終え、バッターボックスに入ろうとした時だった

 

「おい!」

 

振り向くと声の主は、ネクストバッターズサークルでしゃがんでいる下川先輩だった。

 

3年の下川先輩は、俺の目からみてもセンスがあるタイプではなかった。でも、間違いなくチームの誰よりも練習していた。一番最初にグラウンドに出て最後まで残る。セカンドのレギュラーも、血のにじむような努力で手にいれたものだ。

俺はそんな下川先輩のことが苦手だった。当時は理由がわからなかったが、今になってみるとハッキリわかる。野球から逃げた自分と、野球と真剣に向き合い続けている先輩。俺は自分が情けなくて、そして先輩が羨ましかったのだ。

 

先輩と無言で見つめ合った。1秒だろうか2秒だろうか。

いや、もっと長かったかもしれないし、短かったかもしれない。

 

沈黙を破り、ニヤッと笑って下川先輩が口を開く。

 

「柏木、俺にも打たせてくれよ」

 

なんと返事したかは覚えていない。

先輩は卒業したら実家の自転車屋を継ぐのだと言っていた。

「俺さ、パンク直すのうまいんだぜ」

これが生涯最後の試合になるかもしれない。

 

一秒でも早くグラウンドから逃げたかった俺と、

一秒でも長くグラウンドにいたかった下川先輩。

 

 

3分後、無駄だとわかっていたのに俺はヘッドスライディングをした。

無駄なことは嫌いだったはずだ。なぜあんなことをしたのだろう。

それは今でもわからない。

 

 

シモカワ