相談されるのが苦手な話。
昔から「悩み事の相談にのる」というのがどうにも苦手だ。
大まかに人の悩みとは2つに分類することができる。
【A】どうしたいか自分の中で決まっていて背中を押してもらいたいパターン
【B】どうしたらいいか、どうすればいいのか本人もわかっていないパターン
パターンAの場合話は比較的簡単な場合が多い。例を出そう。
「あのね、今日のお昼なんだけどトンカツを食べようかラーメンを食べようか迷ってるの。どっちがいいと思う?トンカツは3丁目の角にあるお店なんだけどそこのロースカツ定食が絶品なの!ロースだからやっぱりこってりしてるんだけどペロッと食べられちゃう!あれは油の切り方がいいのねきっと。熟練の技だと思うな!あとソースも自家製でおいしいのよ〜。甘さが上品だからあれはたぶん柑橘系の何かを入れてるのね間違いないわ。あと辛子もおいしいのよねーあれ絶対チューブじゃないわ。なんか裏でゴシゴシするやつで擦ってるわ。こういう細かいところにこだわるのがいい飲食店の証拠よねー。あ!トンカツってどこから食べる?やっぱり真ん中?そうなんだー!わたしは端っこのあの衣ばっかりのところも結構好きだったりするな。子供の頃あのトンカツの端っこだけを集めたスナック菓子があればいいと思わなかった?あ、思わないか。ちなみにもう一個の候補の1丁目のラーメン屋はスープがぬるくてイマイチなの。
ねぇ、ランチはどっちのお店がいいかな?」
こういう場合話が早い。すみやかにラーメン屋に行けばよい。
問題はパターンBである。
どんな言葉をかけてあげればいいのかまったくわからないことが多い。
こういうときにカッコいい言い回しでキメようとするのが一番サイアクで、
”悩みを聞いている自分”に陶酔してしまうパターンが多いのではないかしら。
そして、言葉を紡げずにしどろもどろしていると例のセリフが飛んでくる。
「コピーライターのくせに」
でたー!!
結局こういう場合「とりあえず飲みに行こう!」みたいに言うことが多い。
そんで「悩みは解決しなかったけど話してたら気が楽になった」とか言われるとうれしかったりするわよね。いいのかわからないけれど。
しかし志茂田景樹さんとかすごいよなぁ。
人生で積み重ねたページ数と1ページ毎の重さが違うんだろうな。
「ロブスター」を観た。
コリンファレルってあんなに老けてたっけ?と思った。
オレは動物に変えられるならマレー熊がいいです。
シモカワ
立ち飲みの話。
座って飲むのではない、中腰で飲むのでもない、寝ながら飲むのでもない。
直立不動、立って飲むのが好きなのだ。
一口に立ち飲み屋と言ってもその種類は多種多様。最近では瀟洒なバルのような形態の店がブームなようだが、僕が好きなのは狭くて汚くて店外まで焼き物の煙と人の活気がたっぷりと溢れ出ているような店だ。
隣の人と肩と肩が触れそうな距離で酒とツマミを楽しむ。
自然に人と人との距離が近くなる。
立ち飲み屋に行った時には、積極的に他のお客さんに話しかけるようにしている。
「何飲んでるんですか?」
「今日は暑いですねぇ」
政治と宗教と野球の話以外だったら何でもいい。陽気に応えてくれる人もいれば、あまり話してくれない人もいる(こういう人にはすぐに話しをやめるのがマナーだ。しんみり飲みたい夜もある)。仕事や家族の話をしてくれる人もいれば、猥談になることもある。なぜかお説教をいただくことがあるかと思えば、そういう人が突然ご馳走してくれたりもする。本当に面白い。
ただ、皆、あまりダラダラと長くは喋らない。
仮初めの会話を交わし、それぞれの場所へ帰っていく。皆、立ち飲み屋とはそういう場所であることを理解している。温かい人間味が溢れながらもドライなケジメがある。
そういう雰囲気がたまらなく好きだから、僕は立ち飲み屋に通うのだ。これは飲み屋だけの話ではなく、普段の人間関係を構築する際に大切にしている指針でもある。なかなか上手くいかないことも多いのだけれども。
東京都台東区浅草橋に「西口やきとん」という店がある。
立ち飲みだけでなく、座って飲める席もあるが、もちろん立ち飲みを選択する。大汗をかきながら串を焼いてくれている様子を間近で見ながら名物のレモンハイボールを流し込む。至福の時間だ。
浅草橋という街は繊維工場や様々な工業部品を扱っている会社が集中している地域なので、お客さんにはサラリーマンの他に職人さんも多い。
先日この店で話をした方は、アクセサリー職人で今度自分のプロデュースしたアクセサリーが大きな百貨店に初めて並ぶのだと嬉しそうに話してくれた。
なんだかこちらも嬉しくなる。
この店は客と店員の立場が逆転している。店のルールを守らないと容赦なく怒られる。最初は少しおっかなびっくり、だけど慣れるとこれがなぜだか心地よい。酒もツマミも驚くほど安くて美味いのだがその値段を維持するために店は最小人数で回していて、客もそのオペレーションに協力してほしい、という考え方のようだ。
一、二杯程度飲んだらサッと店を出る。長居は無用。
夜風にあたりながらぼんやりと考える。このまま帰って寝てしまおうか。
誰かを誘ってもう一軒というのもいいなと思い、携帯に目をやると電池が切れていたりする。湿気を含んだ生温い空気の中、赤提灯の間を今宵もふらふらと歩いていく。
下人の行方は誰も知らない。
モヤモヤする話。
数年前から許せないことがある。
「許せない」って怖い言葉だね。やめます。
モヤモヤしてることがある。
飲食店の看板で「準備中」ってのあるじゃんか。
あれがモヤモヤする。
例えば、11時〜13時までランチ営業をして、その後17時から夜の営業をするみたいな店があったとしてそのアイドルタイムに「準備中」の札を出すならわかる。夜の仕込みをしたりしてるわけだから。
でも真夜中なんか明らかに店内に誰一人いないのに「準備中」ってウソじゃん。ちょっとしたウソじゃん。やさしいウソじゃん。かわいいウソじゃん。カワウソじゃん。
そこって「閉店」じゃダメなの?「閉店」のほうがわかりやすくない?
夜中閉店してたって誰も怒らないよ。まだ「家で寝てます」とか「飲んでます」のほうがいいよ。誰も怒らないよ。
しかも店によっては余計な枕詞みたいのが入ってて
「真心込めて準備中!!」「一生懸命準備中!!」なんて亜種もある。ますますウソじゃん!さっきよりもうちょっとウソじゃん。五合目くらいのウソじゃん。真心どこだよ。サマーヌードだよ。「爆睡中!」「泥酔中!」とかのほうが全然いいよ。
という話を昔付き合っていた彼女にしたら
「家で眠ったりお酒を飲んで英気を養ったりすることも大切な準備のひとつだよ。
どうしてそう考えられないの?きみはそういうところがダメなんだよ」
と言われた。
オレはそういうところがダメなんだと思う。
シモカワ
末井昭さんの「自殺」の話。
ずっと気になっていた末井昭さんの「自殺」をやっとこさ読んだ。
数年前から死生観というものに結構興味があって、いや「死生」というより死に方に興味がある。だって誰にでも平等に訪れるものだからそこには何らかの美学があった方がステキじゃないですか。
「自殺」には自殺にまつわる色々な人が出てくる。自殺未遂をした人、大切な人を自殺で亡くした人、自殺を調査して考える人(自殺した人は取材できないから出てこない)
それを暗いテイストではなく、どちらかというと明るめなトーンでまとめているのだけど、この本に登場する人に共通しているのはみんなパワフルだってこと。
強い己のベクトルがなんらかのはずみでそっちの方向に向いてしまっただけなのかもしれない。彼らは自殺と向き合うという生き方を選んだのだなと思った。不謹慎な感想かもしれませんが。
そして読み進めていくうちになによりも作者の末井昭という人間にすごく興味が沸いた。
末井さんは善人ではないと思う。
でもこの人はすごくすごく優しい人なんだなと思った。
オレはこういう人が書く文章がとても好きです。
居酒屋海峡で280円の特大からあげを久しぶりに食べたんだけど全然食べ切れなかった。しこたま飲酒してジャンクな物を食べて…もしかしたらオレも”緩慢な自殺”をしているのかもしれない。
シモカワ
ホッピーの話。
翌日の午前中に予定がある場合、ホッピーを飲んではいけない。
タバコの注意書きみたいにホッピーの瓶に貼っておいてほしい。
「翌日の予定に支障をきたす場合があります。節度をもって飲んでください。」
店員さんも必死になってほしい。
「本当にいいんですか?明日大丈夫ですか?持ってきていいんですね?」
高円寺南口のガード下にあるホッピー飲み放題のお店にまた行きたい。
中央線はいつだってやさしい。
シモカワ
下北沢の話。
二ヶ月前に下北沢に引っ越しました。
前から好きな街だったのもあるけど、やっぱりしっくりくる。
今んとこすごく調子よくやってます。
ただアレだ。
夜中酔っ払って駅前にたむろしてる若者が怖い。
なんか反社会的勢力みたいな人たちに対して感じる恐怖とは種類が
違って、猛獣に出会った時のような恐怖を感じる(猛獣出会ったことないけど)
何をされるかわからないっていうか…
そしてさらにショックなのは
若者に対してそういう感情を抱くようになってしまったってことですよ。
8年くらい前までは同じようなことしてたのにねきっと。
完全おっさんじゃん。つらいよつらいよ。
とか思いながら今日も安い発泡酒を飲みましたとさ。
シモカワ